高槻城跡公園は高槻市の中心に位置し、 所在は、城内町、野見町内にあります。面積は約4.44haで、開設は昭和31年との事です。城跡公園は、遊戯広場ゾーン( 芝生広場を中心にアスレチック的な遊具を含め木製を主体とした遊具が配置されている)散策、休養ゾーン(城跡のお堀を模した石垣、池を中心としたゾーンやミニ梅林、流れなどのゾーン )城跡公園野球場(市民グランド)、しろあと歴史館、歴史民俗資料館、交通遊園(親子連れから幼稚園や小学校などの団体までが気軽に利用できる施設。模擬道路、交差点、信号機等を使って、交通マナーを身に付けられるように交通指導を行っており、ゴーカートの貸出利用は3歳から小学2年生まで、利用の際は保護者同伴)に大別されます。
さて、城跡公園という名称の通り、かつての高槻城が公園のある高槻市城内町にあったとされています。この高槻城の歴史はというと、永禄12年(1569年)に和田惟政(これまさ)が高槻城主となりましたが、元亀2年(1571年)に白井河原の合戦で戦死し、その後、惟政の子、惟長が城主となりました。さらに、元亀4年(1573年)には和田惟政の家臣である高山飛騨守・高山右近父子が和田惟長を滅ぼしました。そして、天正元年(1573年)に高山右近が高槻城主になったとされています。現在では、城跡公園内には、この高山右近の像が建てられています。高山右近は、キリシタン大名として広く知られており、キリスト教の布教に努めた事でも有名です。
また、槻の木高校のある位置が、高槻城の本丸があったとされており、高槻市商工会議所の南側には、「高山右近天主教会堂跡」と彫られた石柱が建てられています。さらに、高槻市商工会議所のある場所には、以前かつては、高山右近の教会があったとされています。
私が訪れたのは、ちょうど11月末の紅葉の時期でしたので、黄金色の銀杏が眩しく、燃えるような紅色のモミジが目に鮮やかでした。写真にもありますが、公園内には、池があり、アヒルが水面を泳いでいました。昼間は、読書をする人や、小学生や親子連れ、隣接する地元の高校生らが抜け道として利用するなど、いかにも市民の憩いの公園という感じでした。私も公園のベンチに座って、太陽の光を受けてキラキラと輝く池を眺めながら木々に囲まれていると、とても心地よかったです。
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株式会社三島コーポレーション
情報課 川野千沙子
【参考資料】
高槻市立しろあと歴史館
歴史民俗資料館
高槻城跡公園
投稿日:2005年12月5日 月曜日