淀川河川敷公園(枚方)

投稿日:2005年11月8日 火曜日

車で枚方大橋を北から南に渡り、左側に入ると枚方河川敷公園が目に入ります。
ここで、まず圧倒されるのは、広くてとても開放的な空間です。一面に広がる緑の芝生や、眼前を流れる広大な淀川が日々の喧騒を忘れさせてくれます。

淀川河川敷公園(枚方)では、淀川スタジアム(野球場・サッカー場兼用)・淀川アクアシアター・多自然池・駐車場など様々な施設が揃っており、家族連れや、犬の散歩をする人、川で釣りをする人など、多くの方々が利用されます。私が公園に足を運んだ時も、平日にも拘わらず、家族連れや小さいお子さんを連れた主婦の方、散歩やジョギングする方など、たくさんの人がいました。

さらに、ここでは、四季折々で、自然の色んな表情が楽しめます。
植物では今の時季ですと、花壇には、鮮やかなオレンジや黄色の百日草や、真っ赤なサルビアが、川沿いには、風にたなびくススキなどが見られました。また、四季折々で、野鳥では鶯、ホオジロ、カルガモ、小サギなどがみられ、魚は、フナ、コイ、ブラックバス、雷魚などが釣れるそうです。

ところで淀川は、琵琶湖を水源地とする延長75㎞、流域面積8,240k㎡の一級河川で、枚方市民の選んだ『枚方八景』にも選ばれています。上流を「瀬田川」、中流を「宇治川」と言い、大阪と京都の府境・山崎で桂川、木津川が合流して海に注ぐまでを「淀川」と呼ぶそうです。
(←淀川資料館参照)

淀川は古くから京への重要な交通路だったそうで、瀬戸内海等の海上交通と一体なって、『日本書紀』には、継体天皇が西暦507年に樟葉宮(現在の枚方市)で即位したとの記述があるとのこと。大和地方から離れたこの地が、天皇の即位に選ばれたのも、当時における淀川の重要性を物語っています。

また、江戸時代には海上航路と、淀川の舟運により「天下の台所」として大阪は大いに繁栄し、大阪の商いや文化を育てました。淀川の様子について、最盛期には千数百艘が往来していたようです。なかでも旅客用の「三十石船」は、京都の伏見から大阪の八軒家(現在の天満橋)の間を航行し、現代においては、落語の題材にもなっています。
また、航路の途中の高槻や枚方で、三十石船を相手に飲食物を商う煮売茶舟は、「餅くらわんか(食わないか)、酒くらわんか(食わないか)」という乱暴な売り言葉を上げていたことから「くらわんか舟」とよばれていました。
(←淀川21世紀ビューロー参照)

ちなみに『くらわんか』…といえば、『くらわんか餅』が有名ですよね♪
これは大阪名物として、くらわんか舟に名をとった餡入りのお餅であるそうなのですが、残念ながら、私は食べたことがないのです…(>o<)ネットで調べてみましたところ、枚方市内に『くらわんか餅』のお店があるそうなので、今度、是非立ち寄ってみたいと思います。

交通アクセス:国道170号線 枚方大橋の南詰
駐車場:あり(420台)
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株式会社三島コーポレーション
情報課 川野千沙子
野球場枚方大橋





噴水広場2噴水広場1





芝生2芝生





百日草

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