最近、電車内の書籍広告で 『 ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ 』 という本があることを知りました。
で、スマホをポチポチ。
生活環境から断捨離を経由して、必要最低限しか持たないシンプルを極めた生活とのことで、まぁタイトルそのままだなとの印象でした。
食器も最小・ベッドも不要・テレビもいらない・本は持たない等の結果、掃除も楽ちん・気軽に人を呼べる・未読本や録画等を消化する義務感からの開放などの精神的贅沢(余裕)が叶うとありました。またこれがネット上で共感を呼んでいるようです。
私は断捨離は大賛成であると思ってます。妻は捨てられないのを自覚した買わない派です。
その私はこのミニマリストの生活や考え方を否定はしません。が、同意もできないと即座に思ってしまいました。
私見でですが、ブログなどでプライベートを公開しているようなミニマリストのからの画像を拝見すると、まるで売却物件のオープンハウスが、はたまた賃貸募集中の空室のようです。
シンプルなのはかっこ良いと思いますが、ミニマリストと銘打ってまでする行為なのかと言う点が疑問に思えるのです。
不動産業の観点からも考えてみました。
モノを持たない → 所有物資の重複が最小限 → 日常を繰り返す中で無駄がない … となるのでしょうが、『無駄がない』という点に危惧を感じます。
この『無駄がない』と言う利点は日常でのみ価値があるもので、災害時等の非日常ではそのまま破綻に繋がる恐れを感じます。
いくら非常持出し袋だけは用意する!と言っても、寒けれは服を何重にでも着こむ必要もあれば、廃棄を前提に汚さなければならないことも出るでしょう。食料や飲料などはもっと直接的に命に関わります。
建物の安全基準は常に100%を超えるところに設定されます。この100%を超えた部分を捨てることで『無駄がない』とすることがないようにしなければならないと思います。
多すぎる家財は疲弊を生むのも事実だと思いますので、無駄と余裕を履き違えることなく生活していきたいものです。
そこで頭に浮かんだのは南こうせつとかぐや姫の名曲『神田川』です。
なにせ、"窓の下には神田川 三畳一間の小さな下宿~♪"ですよ。
これこそ、ミニマリストの究極なのかもしれませんね。
(松浦)