杉田
冒頭から自転車以外のアクティビティーの話になりますが、カナダでユーコン川下りをしたことですね。ユーコン川を通る旅人なら一度はやるかな、という事なので僕たちもチャレンジしようという事になりました。
ユーコン川のふもとのホワイトホースという町でカヌーをレンタルして、ユーコン川450キロを8日間掛けて川下りするんです。魚を釣ったり焚火でご飯を作ったりという生活で、一切電波が入らない生活でしたが、今思えば楽しかったです。ただ、3日目にもなると飽きてきて「これがあと5日も続くの?嘘でしょ?」と感じました。
一旦出発すると8日間経たないと人里に帰れないんですよね。「8日間毎日楽しい」という体験談は聞いていましたが、実際やってみると、ずっとカヌーを漕ぐ生活で「なんじゃこれは?」と感じました。カヌーを漕ぐことはすぐに飽きてしまいますし、夜中になるとクマが来るのでは?という恐怖心もありました。
カヌーの発着点までは車で連れて行ってもらったのですが、その道中で初めてクマをみました。「本当にクマいるじゃん!」ということで、ユーコン川下りではスリルを感じながらテントを中州に張って夜を過ごしたりしていました。
ただ改めて考えてみると、文明から離れて二人でカヌーに乗り、川をゆらゆらと下る経験は良かったかな、と思っています。
江口
杉田
確かにダルトンハイウェイも印象深かったですね。アラスカは油田が有名ですが、ダルトンハイウェイはそのうちの一つ、北極点に最も近い油田「プルドーベイ」に物資を運ぶために作られた道であり、普段は大きなトラックしか通らない道です。そこを通って北極圏に行くことができるんです。そして北極圏に行くにはそのダルトンハイウェイしか選択肢がなく、何百キロも人里がない、人よりもクマのほうが多い、更には凄まじいジェットコースター並みの坂が続くという過酷な道でした。
出発点のフェアバンクスという町で現地の人に泊めてもらうことがありました。宿主に「俺たち北極圏まで自転車で行くんだぜ」と言ったら「今は止めておけ、季節じゃない、本当に死ぬぞ!」と何度も言われました。しかし、行けるところまで行ってみよう、ということで10日分の物資を買い込み、スペース確保のためパンは押しつぶせるだけ押しつぶして準備を進めました。
ところが出発初日から江口くんの自転車がパンクするトラブルに見舞われました。「これは行くべきじゃないのかもしれない…」と思いながらの道行でした。その翌朝、テントのファスナーを開けると雪景色!それを見た時には「これは遭難したな、帰ろうか?」なんて会話をしたこともありました。
江口
序盤からそんな調子で、さらに走り慣れてもいなかったので、本当にきつかったですね。ダルトンハイウェイに挑戦する場合、事前の情報収集と計画が必要だと感じました。ただ、『知らなかったからこそ味わえた体験・感動』だったのかもしれません。
杉田
江口
杉田
話が少し戻りますが、アラスカを走り始めたときは、どうやって生活していくのか掴めず、不安でいっぱいでしたね。パスタは買ってあるも、ライターを買うのを忘れて茹でる事ができず、なんて失敗もありました。
江口
超初歩的なミスでしたね。
杉田
その時は、アンカレッジの次のワシラという町までいかないとお店がないという事もあり、1日半何も食べずに自転車をこぎ続ける、という状況になりました。そうすると、次第に空腹で体が震える「ハンガーノック(極度の低血糖状態)」に陥ってしまいました。
坂の上にウォルマートというスーパーマーケットの看板が見えたとき「助かった、食料がある!」と震えながらも必死で坂道を上るんですが、ふと後ろを振り返ると江口くんが見当たらないんです!
江口
僕は既に「ハンガーノック」によって声も出ない状態だったので、先を走る杉田くんに助けを求めることもできなかったんですよね。極限状態を体験しました。
アラスカではスーパーマーケットとスーパーマーケットの距離が長く、更に電波状況も悪くてその所在を調べることも困難ということもあり、大変でした。本当は事前に調べていけば良かったんですが、甘く見ていました。
杉田
そういえば、ユーコン・テリトリーではクマと戦ったこともありましたね。実際に手を出したわけではありませんが(笑)。
一人で自転車を走らせているとき、茂みに潜むクマと目があってしまいました。クマは逃げる動物を追いかける習性があるため動くこともできず、2~3mぐらいの距離でしょうか、急停車した僕と立ち上がったクマが数分にらみ合う、という出来事がありました。
たまたま通りがかった車が間に入り、クラクションでクマを追い払ってくれたので助かりましたが、あの時は生物としての恐怖というか、心の芯から震えあがりましたね。
ユーコン・テリトリーでは1日に5~6頭のクマを見ることはありましたが、そんな至近距離で睨みあうことはその1回限りだったので印象深かった出来事の一つです。
江口
杉田
ただ、そのグランドキャニオンに至る行程も大変でしたね。ロサンゼルスからラスベガスを経由してグランドキャニオンに行ったんですが、その道中といえば見事な砂漠なんです。
太陽がすごく近くにあるような日照りの中、加えて店がないので何リットルもの水を積んだ自転車をこぐんですが、昼の12時を過ぎると暑さで「このままだと死ぬんでは?」と感じる暑さでした。そこで少しでも影があれば倒れこんで寝る、という生活です。そもそも影が少ないので道路脇に凹部を見つけるとそこにテントを張り、影を作って日が暮れるのを待つ、日が落ちると自転車をこぎだす、と昼夜逆転で過ごした時期もありました。
あと、アンテロープキャニオンというインスタ映えする観光名所に連れて行ってもらったこともありました。
フラッグスタッフという町から普通にツアーに参加すると300ドル以上するんですが、アンテロープキャニオン近くの町でツアーを探すと9ドルという破格値でツアーがあることを知りました。
そこでフラッグスタッフで泊めてもらった宿主の方に「どうすればアンテロープキャニオンに行けますかね?」と尋ねると、「僕が車で連れて行ってあげるよ」とまさかの返事!往復で500kmの道を片道ゆっくり5時間かけてのドライブは大変でしたが有難かったです。自分たちが運転した訳ではないんですが、ドライバーの宿主さんはなかなかのご高齢だったので…「あれ?いま宿主さん寝てたよね?」的な緊張感が凄かったです。
おかげで9ドルでアンテロープキャニオンに行くことができましたし、ついでにホースシューベンドという有名な観光地も目にすることができました。
江口
そういった楽しいこともありましたが、砂漠の暑すぎる環境は、やはり過酷でした。寒いところにいたときは「早く暑いところに行きたい」と考えていましたが、時期が悪かったせいもあり、砂漠越えは想像以上に大変でした。
杉田
江口
メキシコに入ってからはショックな出来事が多かったですね。食文化としてメキシコでは虫を食べるんです。日本にも昆虫食文化はありますが、大阪近辺では身近にない文化ですからびっくりしました。普通にスーパーマーケットで売っていましたね。
アメリカとの陸続きの国境を越えただけで「これだけ文化が変わるのか!」という衝撃がありました。人の雰囲気も一変しました。
杉田
アメリカから国境を超えてメキシコに入ったとき、周りの人達が僕たちを獲物として見ている感じがしましたね。メキシコの入国審査官にさえも騙された疑惑が残っています。入国税はペソ支払いのはずなんですがUSドルでの支払いを要求されるわ、入国税を受け取るとアメリカ側に引き返していくわで、謎だらけでした。
江口
メキシコでは英語もほとんど通じなかったし、最初から誰も信用できなかったです。初っ端から入国審査官にやられたので...疑心暗鬼でした。ただ、それ以降は親切で優しいメキシコの方々に助けられることが多かったですね。
江口
チャレンジするにあたっての苦労・工夫は?
杉田
江口
江口
カナダ、アメリカでは優しい人が多かったですね。
逆にメキシコではモノを貰うよりも売りつけられる、という心配が多かったです。ほぼ無理やりパーカーを交換させられたこともありました。手元に残ったパーカーはチャックが壊れていました。その交換を除けば良い人たちだったんですけどね。
かと言って、メキシコ以降の治安が悪いとされている場所でも、優しい人に助けられることもありました。野宿は避けたかったので、庭にテント張らしてもらえるよう交渉すると、意外とすんなり受け入れてくれたりもしました。ただ、英語はほぼ通じずスペイン語オンリーでした。知っている数個のスペイン語を駆使して交渉してOKをもらっても、その後のコミュニケーションは皆無でした。本当に英語を勉強する人がいないみたいで、簡単な英語でも通じず苦労しました。
杉田
反省という意味では、要らないものを持って行きすぎたな、という感はありますね。そのせいで自転車が重くなるだけだし、必要な食料の積み込みに苦労しました。結局アラスカから不要な荷物を日本に送り返す羽目になりました。
江口
そうですね、送り返したのが出発から2週間目ぐらいだったので、振り返ると準備しすぎたな、と思います。必要なものに関しては現地で調達出来ました。
杉田さんが先に帰国されましたが…
江口
寂しかった気持ちも多少ありましたが、毎日一緒に走っていたわけでもなく、落ち込むようなことはありませんでした。実際、旅を始めたときから「本当にキツくなった時は日本に帰ろう」と話していました。
ただ、帰国することを聞いたタイミングが、まだ勝手も言葉も分からないメキシコに入ったばかりだったということもあり、その後の旅への不安があったのも正直なところです。しかし、だからと言って「不安だから一緒に...」というのも僕の考えとは違うし、一方僕としては最後まで走り通したい気持ちが強く、杉田くんに合わせて一緒に帰るという事は頭には浮かびませんでした。
結局ですが「お互いやりたいことをやろう」という事ですかね。
杉田
帰国の理由が体調不良だったので残念な気持ちも残っており、また絶対チャレンジしたいと考えていますが、資金の問題も残っているんです。航空チケット代も未だ分割支払い中ですし、東京に引越ししたところなので、なかなか資金の調達ができる状況ではないのが悩ましいところであったりします。4月から4回生になるんですが、もし、お金があればその夏休みの間に、ちょっとでも分割して走ることができるのにな、と考えたりもします。
友達には「定年までにはもう一回走るからな」と言っています。僕たちが所属しているアドベンチャーサイクリストクラブの先輩には「定年後に自転車世界一周」と、聞くほうが引いてしまうようなチャレンジを成し遂げた方もいるので、定年過ぎてからでも遅くはないと思っています。
何れにしろ気力を養って、体調も整え、計画を練ってもう一度自転車でどこかに行きたい、というのが夢ですね。
チャレンジを振り返って
杉田
率直に、得たものとして常々言っているのは「日本の良さを再認識できた」ということで、すごく大きな収穫でした。例えば食事とか。日本で生まれて日本で育っているので、海外は厳しいというか慣れない生活なので、日本食や布団で寝られること、日本語で会話できる事のありがたさを痛感しました。そういった小さいことが、すごく幸せに感じるようになりました。
あとは訪問した先々で知り合った人たちとの出会いですね。今でもメールのやり取りをしている友人がいます。その友人のフェイスブックが更新されているのを見て、「あぁ、この人も頑張っているんだな」と感じることで、普段の生活への励みになったりしています。
こういったつながりは、海外に出てみないと出来ないことなので、改めてチャレンジして良かったな、と感じています。
江口
月並みですが、前向きに何でもやっていこうかな、これからチャレンジもしていきたいな、と改めて考えています。今年26歳になるんですが、定年後に自転車世界一周する人がいることを考えると、本当にまだまだいろいろとやってみても良いんだな、と思っています。
なので次はワーキングホリデー等でいろんなところに行ってみたいな、と考えています。自転車も良いんですが、今はまだ自転車旅行から帰ってきたばかりなので、具体的に「次も自転車旅行」とは考えていないですね。
今後チャレンジする若者に向けて一言
杉田
何事でもよくて、学業でも今回僕たちがチャレンジしたような旅でもなんでもいいんですが、「チャレンジする姿勢」が大切だと思います。
僕たちも前のめりな姿勢で計画からスポンサーを獲得する活動を始め、色々チャレンジしてきました。僕は志半ば、自分の力不足で帰国することになってしまいましたが、それはそれで多くの学びがありました。失敗を恐れずに何事にもチャレンジして欲しいと思います。
失敗したら失敗したで、なぜ失敗したのかをきちんと考えて、次のチャレンジにつなげていく。それを繰り返していくと、結果、人生も豊かになるんではないか、と考えています。一度チャレンジに失敗しても、改めて計画して取り組む次のチャレンジで成功したら、それはチャレンジ成功ですよ。何があろうとチャレンジし続ければ、何時かは成功に結び付くと信じています。
江口
本当に一言で「自分に正直に、やりたいことをやりましょう」です。
この一言に全部詰まっています。付け加えるなら「全力で当たりましょう」ですかね。あまり周りのことは気にしなくてもいいと思います。やめたらやめたで、「もっと頑張れ!」と言ってくる人もいるかもしれません。SNSで自分の情報を発信していると、賛否両論いろんな声が集まってきます。これって諸刃の剣になるんですよね。でもそんな声は気にせずに、自分の考えに自信をもって取り組んでいく姿勢が、今の時代には必要だと思います。やめる事にも勇気が要りますしね。
杉田
最後に、スポンサーとして協力していただいた三島コーポレーションさんをはじめ、スポンサーの皆さんにはとても感謝しております。
江口
本当に助かりました。ありがとうございました。
若きチャレンジャー達の目的は決して自己満足ではない。多くの協賛企業の『期待』を背負い、旅行に行きたくても行けない人達の『夢』を背負い、病気がちな兄弟姉妹と一緒に暮らす子供たちの『希望』を背負い、彼らは旅立った。
目的 | チャレンジしない日本の若者にチャレンジ精神を届ける。
日本の若者は他国に比べ挑戦心が低水準。スポンサーの獲得や過酷な自転車旅を成功させることで、日本の若者に『自分も何かチャレンジしてやる!』という気持ちを届ける。 |
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期間 | 2018年4月~2019年3月上旬(約330日) |
概要 | スポンサーを募って北アメリカ大陸を2万kmを自転車で走破する。 |
費用 | 170万円(食費、キャンプ場費、海外保険費、自転車メンテナンス費、ビザ発行費、その他) |
高校1年から自転車旅を始め、これまでに国内様々な場所を自転車で巡った。"日本を飛び出して世界を走りたい"という想いから北アメリカ大陸大冒険への挑戦を決意。釣りや登山などアウトドアを幅広く愛する。広島県出身、大阪在住の大学生。
高校卒業後すぐにワーホリを取得しオーストラリアへ飛ぶ。現地では日本料理店、農場で働くことで何とか1年食いつなぐ。帰国後には冒険に積極的となり、ベトナム縦断、北海道・沖縄自転車旅など数多くのチャレンジを成功させた。兵庫県尼崎在住の大学生。
弊社は地域貢献の一環として、「地域のチャレンジ企画」を応援します。
株式会社三島コーポレーション 情報課・・・〒567-0032:大阪府茨木市西駅前町6-26 田畑ビル3階
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チャレンジを通して印象に残ったことは?